西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇

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★あらすじ

著者のティルベリのゲルウァシウスは1155年ころ、イングランドに貴族の家系に生まれる。幼少のころから学問に秀で、ヨーロッパ各地の大学を遍歴し、フランス・ランスの大司教の元で聖職者としての修練を修める。その後、各国の宮廷に使え、ドイツ皇帝オットー四世の元で本書を著す。皇帝にとって公務の合間の憩いとなるよう、各地の不思議な話を集めたものだった。

本書は、古今の権威ある書籍からの抜粋や、著者自身が自ら各地で見聞した話、信頼のおける友人・知人から聞いた不可思議な話を集めている。かつては無知蒙昧な、価値のない話ばかりだと酷評されていたが、最近になって“フォークロア(民俗学)”の走りとして再評価されている。

● 肉市場の腐らない肉

カンパーニャ地方の都市ナポリには肉市場がある。その壁にヴェルギリウス(ローマの、あの偉大な詩人)が強力な力を備えた肉片を挟んだところ、その肉片が挟まっている限り、市場の囲いの中にある肉は腐ることがなかった。
また、同じナポリの町にある石畳の道には、ヴェルギリウスがありとあらゆる種類の毒蛇をバケツに詰め込んで埋めたため、市壁内にある洞穴や地下遺跡、庭園には一匹の毒蛇も這い出ることがない。
また、私自身が直接聞いた話では、町の門の左右にそれぞれ、ヴェルギリウスが魔法をかけた頭像がある。一方は優しい顔をしていて、他方は激情に満ちた泣き顔だ。旅人がそこを通る時に左右どちらを通るかでその後の運命が決まるそうだ。

● グラント

イングランドには、「グラント」と呼ばれる悪霊がいる。一歳の若駒に似て後ろ足で立ち、チカチカ光る目をしている。町や村に現れる度に、その町・村に火災が迫り来ることを告知する。その出現によって村人達は危険が迫っていることを知り、火の管理に注意を促される。このような有用な悪霊もいるのだ。

● 馬頭人種

紅海に向かってセレウキアの右側には「馬頭人種」が生まれる地域がある。馬のたてがみを持ち、身体屈強を誇り、巨大な歯から火を噴き出す。その隣接地域からエジプトに向かった先の島には「ヒュドロファゴス(水喰い族)」が生まれていて、その人種は膝まで髭が伸び、生魚を糧としている。
また、同じ島には「ミルミドン蟻」が生息している。そいつらは子犬ほども大きさがあり、犬の歯を持ち、土から掘り出した金を貯め込んでいる。人間や動物を襲い、骨まで食べ尽くしてしまう。人々は駱駝を囮に使い、ミルミドン蟻が駱駝を食べているあいだに彼らの金を掠め取ることができる。そうして得た純度の高い金がこうして私たちのもとに届いているのだ。

● ある乙女に現れ、驚異を物語り、知らせる死者

アルル王国のアルル大司教管区のボーケール(町)に十一歳の生娘がいた。彼女には従姉妹がいて彼女のことを愛していたが事故で死んでしまう。その五日後、彼は彼女の前に現れる。初めは恐れていた彼女も、彼の話を聞き納得した。彼の愛情を神が認め、彼女の前に現れることを許したのだそうだ。
一人でいるのに話し声がすることをいぶかった父が娘に問いただすが、父には彼の姿が見えなかった。でも、娘を信じ、父・母・隣人・友人はサン=ミッシェル修道院に死者を記念して祈るために出掛けた。かくして噂は広まり、タラスコンの修道院長が真偽を確かめるために訪れた。院長は娘を通して死者に質問をした。死者は答える。彼は煉獄の苦しみを味わっているが、院長がミサを歌わせたことで絶大なる慰安をもたらしてくれた、とのこと。また、前日は裸だったのに、今は服を着ているのは、娘の母が貧者に服を施したから、と。自分のような無数の霊が空中に彷徨っていて、人々の行動をすべて見ている。だから恥じるような行為はしてはいけないと答えた。また、自分がこのように現れていられるのは、娘が生娘のあいだだけで、また煉獄期間が終了したらこのような交流は持てない、と。
さらにQ&Aが続く。
質問:煉獄では、魂は休めるのか?
答え:土曜の晩課から日曜の晩課までと、彼らのためにミサが捧げられている間、休める。父と子と精霊、聖母マリア、使徒のペテロとパウロに対する喜捨は御利益がある。
質問:すべての魂を守護するのに、唯一の天使ミカエルのみがいるのか?
答え:ミカエルは個人名ではなく、役職名。天使は一人ではない。おびただしい数の天使がいる。
質問:アルビジョワ派(カタリ派)への虐殺は神を喜ばせたか?
答え:これほど神が喜んだことはない。
などなど。

★基本データ&目次

作者Gervasii Tiberiensis
発行元講談社(講談社学術文庫)
発行年2008
ISBN9784061598843
原作者ティルベリのゲルウァシウス
訳者池上 俊一

目次

  • 第一章 磁石
  • 第二章 アグリジェントの塩
  • 第三章 雪花石膏
  • 第四章 エジプトの無花果の樹
  • ・・・・・・
  • 第一二七章 忽然と消えふたたび姿を現す泉
  • 第一二八章 二つの泉
  • 第一二九章 汚れたものを一切許さない泉
  • 訳註
  • 訳者解説
  • 参考文献

★ 感想

以前、ウンベルト・エコの「中世美学史─『バラの名前』の歴史的・思想的背景」を読んだが、そこでエコは「中世ヨーロッパ人は、自然にあるものすべては神の啓示であり、神からのメッセージをそこから読み取ることこそが彼らのめざすもの(彼らの自然解釈)だった」と語っていた。それは、科学を“信仰する”我々現代人とは異なる出発点を持つものの、自然を解き明かしたい・理解したいという想いはそれほど違わなかったのだろう。
そんな意味で、本書で語られていることも、著者なりの、中世ヨーロッパ人なりの判断基準で、“正しい話(信じてよい話)”と“嘘・偽り”とに振り分け、皇帝に語るにたる“正しい”と判断した話のみが収録されているのだ。信頼のならない人から聞いた話は「信じられない」と一蹴している。その割には、馬の頭をした人間だの、子犬大の蟻だの、木の実から生まれる鳥だの、姦通(不倫)をした女がチーズを作るとすぐに腐るだのと、いかにも民間の説話が含まれているのが楽しい。また、ミサや喜捨(寄付)は御利益があるだとか、カタリ派虐殺を神が喜んだとか、当時の聖職者たちの“常識”は今から見れば腐敗しているだの、差別主義だのと思えるが、彼らは神の力を絶対視していたのだからそれを疑うなどと言うことはなかったのだろう。彼らの時代の“常識”を理解するのはなかなか難しいけど、現代の“常識”だけで判断していては分からないことも多いし、何とか理解していきたいと思う。

中世ヨーロッパの民俗学入門としても、皇帝の気分になって“たわいもない話”を楽しむにもいい作品です。

それにしても、ローマの偉大なる詩人であるヴェルギリウス(プーブリウス・ウェルギリウス・マーロー)が、アーサー王伝説のマーリンのような魔法使い扱いされているのが面白い。ヴェルギリウスの出てくる話は、上記の肉市場以外にも本書の中で何回も出てきた。どうしてヴェルギリウスが魔法使い扱いされちゃうようになったのか、それを研究した本はないのだろうか。そんなのがあったら読んでみたい。

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