中世パリの装飾写本 書物と読書

★あらすじ

西欧で印刷が始まるのは十五世紀。それまでは手作業による写本が中心だった。そんな書物には挿し絵を入れ(もちろん、これも手作業)、豪華に装飾を施したものがあり、今に伝承する。本書では十三世紀から十五世紀初めのパリで制作された装飾写本を中心に取り上げる。
写本は、当初は聖職者のための典礼写本が中心だったが、この時代を通して次第に個人用も増えてくる。祈禱用写本がそれで、それらはラテン語だけではなく、その土地の言葉(本書の場合はフランス語)で書かれるようにもなってくる。
本書は各章一冊ずつ、代表的な装飾写本を紹介している。第一部にカラー図版を、第二部に本文テキストと分けて紹介・解説している。また、第二部では本文以外に、その写本を注文したパトロン(製作依頼主)や、装飾画家、そしてその写本が辿った“運命”なども併せて紹介していて、より深く興味を持ってもらえるだろう。

● 「教訓聖書」

テキストではなく、図像で聖書の物語と注釈を表現する。1220年頃、フランス王妃ブランシュ・ド・カスティーユの依頼による製作と考えられている。十三世紀のパリでは、個人用の小型聖書写本が製作されるようになった。また、職人たちが都市の工房で量産をするようにもなる。
一ページに八つのメダイヨン(円形の小型挿絵)が、二列四段に並んでいる。上下二つがペアとなっていて、上が聖書の場面を、下がその注釈場面となっている。例えば、ロトと家族がソドムの街を脱出する聖書の場面に対して、その注釈画面では「ロトたちがソドムの街を去るのは、賢明な者が俗世を捨てて信仰へ向かうことを意味している」ことを描いている。また、アブラハムが神から息子の伊作を犠牲にせよと命じられる聖書の場面にの下には、「キリストの福音が、肉体と魂を神に捧げるように、良きキリスト教徒に告げていることを意味している」という注釈場面が描かれている。

● 「ギヨーム・ド・マショー作品集」

十四世紀になると、キリスト教以外をテーマにした写本も製作されるようになった。ギヨーム・ド・マショーは作曲家として知られているが、詩作も手がけている。彼の作品だけを集めた写本が何冊か伝わっている。どうやら彼は自分の作品を一冊の本にまとめていたらしい。そして、それを元にいくつかのバージョンの写本が作られていった。
その装飾写本には、マショーの作品に沿った挿絵が描かれていて、マショー本人と思われる「私」が主人公となって登場している。「序」では、マショーが「愛」から「甘美な思い」、「喜び」、「希望」を贈られている場面が描かれている。これは、彼の作品の多くに共通するテーマで、マショーの創作がこれらをベースにしている、と言うことを表している。
長編韻文物語「運命の治癒」の冒頭では、「私」が、思いを寄せる「婦人」の住む城にやって来た場面が描かれている。人物の身体は丸みに乏しく、建物の各部分も視点が一つに定まっていない。非現実的なお伽噺的描写とも言える。が、人物と建物の大きさの比、奥行きなどはそれまでの写本の作品よりも現実に近づいてもいる。

● ベリー公の「いとも豪華なる時禱書」

ベリー公ジャンは蔵書家として知られているが、なかでもこの作品はその頂点と言える。装飾写本画家のランブール兄弟が手がけたもので、美しさ・豊かさ・斬新さにおいて他の追従を許さないものとなっている。
暦や通常の聖書のテキストの他にも、週日の小聖務と年間の主要祝祭日のミサのテキストも含んでいる。そして、これらテキストの挿絵に加え、大型ミニアチュール(ワンポイントの挿絵)が挿入されている。例えば、巻頭近くの「ゾディアック(黄道十二宮星座と人体を描いたもの)」や「東方三博士の礼拝」、「聖母の神殿奉献」などだ。
ランブール兄弟は1411年頃にこの本の製作を開始した。だがランブール兄弟も、そして製作を依頼したベリー公も完成をみる前に相次いで没してしまう。ベリー公の没後の財産目録によると、この写本は製本されることなく木箱に納められていた。そしてその後、一時、所在不明となってしまう。そして十五世紀末にはサヴォイア公カルロの所有となり、ブールージュ出身の写本画家ジャン・コロンブに依頼して1485年頃、完成させた。時が流れ、最後のフランス国王ルイ・フィリップの息子で、オーマール公アンリ・ドルレアンがこの写本を入手した。そして後に自身の他のコレクションとともにフランス学士院に寄贈した。だが、寄贈の条件として「作品の展示を変えない」「売却・貸し出し禁止」が課せられたため、今なおシャンティイ城に開設されたコンデ美術館の門外不出の秘宝となっているのだ。

★基本データ&目次

作者 前川久美子
発行元 工作舎
発行年 2015
ISBN 9784875024651

目次

  • 図版編
    • 『教訓聖書(ビーブル・モラリゼ)』
    • 『聖ルイの詩編』
    • 『梨物語』
    • 『マダム・マリーの祈禱書』
    • イヴ作『聖ドニの生涯と殉教』
    • 『ジャンヌ・デヴルーの時禱書』
    • 『ギヨーム・ド・マショー作品集』
    • シャルル五世の『フランス大年代記』
    • ベリー公の『聖母のいとも美しき時禱書』
    • 『ブシコー時禱書』
    • ベリー公の『いとも豪華なる時禱書』
    • 『ロアン大時禱書』
  • テクスト編
    • 第1章 パリ写本装飾の始まり
    • 第2章 ものがたる写本絵画
    • 第3章 声から文字へ
    • 第4章 聖書絵本の流行
    • 第5章 中世パリの日常生活
    • 第6章 写本装飾の革新――ジャン・ピュッセル
    • 第7章 個人全集の成立
    • 第8章 政治を反映する写本絵画
    • 第9章 数奇な運命をたどった装飾写本
    • 第10章 中世末のエコール・ド・パリ
    • 第11章 写本装飾のピーク――ランブール兄弟
    • 第12章 最後の大傑作
    • gallery
  • 巻末資料
    • 絵画で読む聖書の物語
    • 図版リスト
    • 主要参考文献
    • 索引

★ 感想

ベリー公の『聖母のいとも美しき時禱書』だとか、『いとも豪華なる時禱書』の名前は知っていたものの、実際に何が描かれているか全く知らなかった。が、名前からしてとても魅力的。前から観てみたいなとは思っていた。そこにきて本書の登場。日本では珍しい(初めての?)、一般向けの装飾写本について書かれた本書は読むべき、いや、観るべき一冊となっている。

写本というと、映画「薔薇の名前」を思い出す。人里離れた山の上の修道院で、修道僧たちが黙々と写本を作成している(文字を書き写している)シーンだ。知識を、つまりは書物を、キリスト教会が独占・コントロールしている時代だったんだ、ということがあのシーンから伝わってくる。
だが、十三世紀になると時代も変わってきたようだ。聖書やその注釈書が、聖職者たちだけのものではなくなってくる。写本製作が職人の手による作業となっていくと、書物を所有するチャンスが聖職者以外にも生まれてきたということだ。また、読書、と言うか、本を黙読するという週間が始まったのもこの頃だそうだ。そして、個人が(といっても、王侯貴族や金持ちだけだが)写本を製作依頼し、所有するようになった。なるほど、そうすると“自分好み”の挿絵を入れたくなるだろうし、より豪華にしたいなという欲求も出てきたのだろう。
『いとも豪華なる時禱書』の“五月”の挿絵は特に美しい。本書のカバーにも使われている作品だ。貴族たちなのだろうか、男女が馬に乗って行進をしている。森が奥に見えるが、舞台は草原らしい。この時代には、五月一日には“遠足”をして、行った先で小枝を採り、持ち帰るという習慣があったそうだ。これはその場面らしい。なんとも優雅な習慣だが、歳時記としての時祷書だからこそ知れることだ。中世ヨーロッパというとキリスト教一色の“詰まらない”世界というイメージが未だにあるが、人の営みはやはりそんなに単純なものではなかったと言うこともこれら装飾写本から知れるというのが面白い。

装飾写本の見方も基礎から紹介しているので、勉強にもなる。各パーツの名称から始まって、ページの順番もそれ。そう、現在の書籍はページの順番に読んでいけばいい。当たり前すぎて今さらの感もある。だが、この時代の装飾写本はそうではなかった。一つの絵の中に、時間の流れを伴った場面がいくつも描かれることがある。同じ人物画一つの絵に何度も出てくるが、それは時間が異なっているのだ。これは日本の絵巻物にもある描き方。装飾写本の挿絵も然り。日本の絵巻物は右から左に順に時が流れていくのが普通だが、装飾写本(の一部)では書籍の真ん中に向かって進むルールになっているそうだ。左側のページは左から右に、右側のページは逆に右から左、と言う流れ。これは知らないと混乱しそう。

写本の実物を見る機会なんてそうはないだろうと思う。だが、本書でも紹介されているが、最近はインターネット上で“コピー”を観ることができる作品があるのだそうだ。図書館・美術館が蔵書のデジタルイメージデータを作成し、それを公開しているのだとか。本書を読んで、装飾写本の見方を理解したら、“実物”に挑戦することもできるようだ。そんな世界への入門書として本書は読むべき一冊となっている。

・ 紙版





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