君たちはどう生きるか

★あらすじ

主人公の「コペル君」は十五歳。旧制中学校の一年生。成績はクラスで一番だが、背の高さは小さい方から一番か二番。イタズラ好きで快活な子だ。父親は銀行の重役だったが、二年前になくなってしまい、今は母親と、ばあやと女中の四人暮らし。だが、母親の弟である「おじさん」がちょこちょこやって来ては相手をしてくれる。おじさんは大学を出たばかりの法学士。コペル君とおじさんは友だち同士でもあり、おじさんが時には父親代わりにもなっていた。

コペル君がこの世の中の有り様だったり、友だちとの関係だったりで疑問を持ったり、悩んだりした時、おじさんは助言をくれるのだ。それは直接語りかけてくれることもあるし、秘密の(でも、コペル君も実は読んでいた)ノートにアドバイスや、それらの問題に対する考え方、必要とあれば学問的な知識も書き記してくれていた。

例えば、こんな調子。
おじさんとコペル君は銀座に出掛け、デパートの屋上に出て街を眺めていた。霧雨が降っていたが、東京の街は何処までも続いていた。コペル君はこれまで、人との付き合いというと学校の仲間や近所の人々だけだった。だが、屋上から見た風景からコペル君は、この街には知らない人々が山のように暮らしていることにはたと気が付いたのだ。この世界に人々が溢れている。まるで水の分子のようだ、と。彼はこれを「人間分子の法則」と名づけ、その意味を考え続けた。
その晩、おじさんは例のノートに書き記した。「人間同士が分子のように関連し合っているのがこの世の中で、自分もその分子の一つだと気が付いたことはとても重要だ。人はそれぞれに関わり合ってこの世の中が成り立っているのだから。」

コペル君の通っている学校では、コペル君よりも裕福な家庭の子弟ばかりだった。親が実業家だったり、政治家だったり。だが、そんな中、クラスにはただ一人、普通の豆腐屋の息子(浦川君)がいた。彼はそれが理由で虐められていたが、コペル君と友人(北見君)がいじめっ子たちと対峙したことがきっかけで、浦川君とも友人になった。コペル君は、浦川君の家を訪ね、初めて“商人の生活”(自分よりも貧しい家庭の生活)を知ることとなる。そして、この世界には貧富の差があることや、貧しい人々も社会の一員として働き、この世界を動かしていることも。
おじさんのノートには「浦川君への接し方が上からの目線ではないのは大変良いことだ。それは、君も、浦川君も良い性格だったからだ。互いに尊重し合う、友人として互いを認め合うことは立派だ。」

そんなコペル君だったが、友人たちを裏切る行為をしてしまったことがあった。そんな時の、おじさんの助言(ノートの記述)は厳しいものだった。

★基本データ&目次

作者 吉野源三郎
発行元 岩波書店(岩波文庫)
発行年 1982
ISBN 9784003315811
原著 1937 新潮社(日本少国民文庫)
  1. へんな経験
  2. 勇ましき友
  3. ニュートンの林檎と粉ミルク
  4. 貧しき友
  5. ナポレオンと四人の少年
  6. 雪の日の出来事
  7. 石段の思い出
  8. 凱旋
  9. 水仙の芽とガンダーラの仏像
  10. 春の朝
  • 「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)

★ 感想

宮崎駿監督が次回作としてこの作品を題材にすることを発表し、話題を呼んだ。今も制作中のようだが、公開日は未定のよう。そこまで話題になると、気にはなるもののすぐに読むのはミーハーな気がして遠慮していた。が、オトバンク(audiobook.jp)に収録されたのを機に読んでみた(聴いてみた)。

盧溝橋事件(1937/7)の起きた時代に刊行されたとは思えない一冊だ。各国の文化の多様性を認め、階級間の貧富の差を問題にし、権威・暴力への抵抗を讃えるその内容は、映画にして今の時代に改めて子供たちに向けて読み聞かせたいと宮崎駿監督が思った(?)のも納得。しかも、道徳的な話だけではなく、資本主義の基本的な考え方やら、物理学の話やら、美術史にまで話題は広がり、読み手の知的好奇心を大いに呼び起こさせるものになっている。
教科書のようでもなく、エッセイでもなく、物語形式にしたところも、内容に比べて取っつき易い要因だろう。“おじさん”のノートの中の記述(主人公に読ませるために書き溜めたもの)は押しつけがましさをなくし、優しく語りかける調子になっている。これを直接的な二人の会話にしてしまうと、お説教の様相を帯びてしまっただろうから、良くできたものだ。

残念ながら、世界中には、そして日本でも「どう生きるか」の選択肢を持たない子供たちが大勢いる。貧困だったり、政治的な問題だったり、理由は様々だろうが、学ぶ機会もなく、強制的に労働に駆り出されている。女子に至っては、「児童婚」の問題に見るように、“子孫を残す”だけのために存在を認められているような境遇の子たちも多い。生物として、社会性動物としてはこれが本来の姿かも知れないが、自我に目覚め、知恵を持ってしまった人間にとっては耐えがたい話だ。
そんなことを踏まえてみると、倫理や道徳、実践哲学を論じて子供たちに考えさせる、という本書の主題はある意味、エリートのエゴかも知れない。とは言え、では倫理を論じている暇があったら働け、と言うのではポル・ポト政権の恐怖政治と同じになってしまう。やはり我々は学び、そして「どう生きるか」を考えねばならない。

岩波文庫の一冊として再刊行されてからも既に四十年近い年月が経っている。ポピュリズムだの、保護主義だの、宗教紛争だのが広まる一方で、人々の多様性の枠がさらに広がっている現代にあって、改めて読んでみる意味は大いにありそうな一冊だ。いや、すでに思想信条が凝り固まってしまった我々よりも、未来に生きる子供たちに読んでもらい、考えてもらいたいと思う。もちろん、子供たちの前に自分が先に読んでおかねば議論もできないだろうから、やっぱり読むべき一冊ということだ。

・ 紙版

・ オーディオブック版


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