見えない都市

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★あらすじ

マルコ・ポーロはフビライ汗に、自分が見てきた都市について語る。

「イシドーラの都は館という館に螺旋階段があり、田螺がへばりついています。イシドーラは旅人の夢の町です。広場には石垣があり、年寄りたちが青春のとおりゆくのを眺めております。」

「イパツィアの都市では一々の言葉が違うというのではなく、その事柄が違っています。哲人に教えを求めに大図書館に行きましたが、そこにあったのは茣蓙の上に横たわっている青年の虚ろな瞳、唇から離そうともせぬ阿片のパイプだけでした。」

「エウドッシアは上手も下手も曲がりくねった路地や石段道や袋小路や貧民街の広がっている都市でございますが、そこに保存された一枚の敷物に都市の真の形状を眺めることができます。陰陽師たちは、敷物の図柄こそ神々の造りたもうたところだと信じておりますが、宇宙の真の絵図面とは、現在あるがままのエウドッシアの町です。」

汗は問う。「そなたの旅とは即ち、想い出の中の旅なのだ」と。「そのほうが語る国々を訪れる暇がいつあったのか不思議だ。そなたは一歩もこの庭から動いた様子さえないように珍には思えるのだが。」

★基本データ&目次

作者Italo Calvino
発行元河出書房新社(河出文庫)
発行年2010
ISBN9784309462295
原著Le citta invisibili
訳者米川良夫
  • 本文
  • 訳者あとがき
  • 解説(柳瀬尚紀)

★ 感想

以前、「東方見聞録」を読んだことがあるが、マルコ・ポーロはフビライ汗に謁見するだけではなく、宮廷の役人として取り立てられて汗の命で各地を旅していた(らしい:どこまでが史実かは不明)。本書でもマルコ・ポーロはフビライ汗に旅の“報告”をしているのだが、その内容は摩訶不思議。まあ、「東方見聞録」にも「プレスター・ジョンの国(アフリカにあったとされる“幻”のキリスト教の王国)」についての話も出てきてはいるが、本書で語られる“都市”は全てが夢・幻のようだ。実体があるようでいて、どこにでもあるような話ばかりだったりもする。マルコ・ポーロとフビライ汗の会話は禅問答のようだ。

しかも、彼らが生きたのは十三世紀のはずだが、語られる都市は現在の(いや、ちょっと前の)都市のよう。歯磨きのチューブやら電球やらフライス盤やらが出てくる。夢幻の中の都市は時空も超越しているようだ。

著者は文明批判をしたかったのだろうか。日々の生活に苦しむ都市住民や、無意味とも言える建設ラッシュなどなど。だが、フビライ汗との会話ではそんな気配は感じられない。飽き飽きしながらも夢物語を楽しんでいるようだ。となると、イソップ童話のような寓意などなく、単なるお伽噺なのだろうか。

それにしても、こんな不思議なストーリーをよくも著者は考えだしたものだ。こんな発想、私には絶対に無理だ。粗筋を説明するのも、感想をまとめるのもこりゃ無理だ。
言えるのは、読み終えた後、すぐにまた読み返したくなる作品だったということだけ。

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