死者の民主主義

★あらすじ

NetGalleyで前半二章を先読み。

本書は、民俗学者の著者が思想誌やウェブメディアなどに発表した文章を集めたエッセイ集だ。

「立憲主義」は、過去の失敗を繰り返さないようにと言う経験値や教訓をルール化し、憲法として国家権力を制約するものだ。過去に苦難を乗り越えて蓄積された知恵なのだから、それらを残してくれた“死者”が現在の権力を縛っていると言える。さらには、これから生まれてくる未来の人々にも関わる話なのだから、今を生きる我々だけの問題ではないのだ。

大震災後に「死者に出会った」という体験談を語る人が少なからず現れた。このような霊体験は大震災に限ったことではなく、親しい人が突然、この世を去った時、人々は霊と再会する。
個人の霊ではなく、特殊な体験をした人もいた。津波被災地を十日ほどたってから訪れたら死霊に取り憑かれてしまった、と言うものだ。男性はアイスクリームを食べながら被災地を歩き回った日から、「みんな死んだ。だから死ね!」と何日も家族に叫び、暴れるようになった。この場合は「個別霊」ではなく、「集合霊」だったと言える。
著者は、災害などで生き延びてしまった人々の後ろめたさの感情が伝承され、集合した霊的存在としてイメージ化された時、それらは河童や天狗、座敷童子などの妖怪として形作られたのだと想定した。とすると、未だ妖怪が現れていない被災地では、今も死者も生者も分断され、孤独に苛まれてしまっているのではないかと想像する。

柳田国男は妖怪を「零落した神」だと定義した。かつては水神として崇められていたのが、近世の文学や絵画で娯楽化され、大衆に浸透していったのが「河童」なのだと描いている。日本人はかつて水の神がもたらす怒り(洪水や旱魃など)を恐れ、敬っていたが、新しい学問はそんないふの原因を明らかにしてしまった。河童は水神から、滑稽な化け物へと変貌させられてしまったのだ。

柳田以降、民俗学というと過去の妖怪の振る舞いが掘り起こされるばかりとなった。では、妖怪の現在はどうなっているのだろうか。
十九世紀後半から二十世紀半ばまで“活動”した妖怪には「件(くだん)」がいる。「今年は悪疫が流行する」だの「日本はロシアと戦争する」だのと予言したと言われる。戦争中には終戦や空襲も予言したらしい。「件」は、噂や伝聞をまき散らすという、新しいタイプの妖怪だった。
二十一世紀に入り、ネット社会となった今、新たな妖怪が出現したという話は聞かない。

★基本データ&目次

作者畑中章宏
発行元株式会社トランスビュー
発行年2019
ISBN9784798701738
  • はじめに
  • Ⅰ 死者の民主主義
  • Ⅱ 人はなぜ「怪」を見るのか
  • Ⅲ 日本人と信仰
  • Ⅳ さまざまな民俗学
  • あとがき
  • 参考文献
  • 初出一覧

★ 感想

民俗学というか、そこで対象となる我々の風俗や思想などは、遠野物語の昔から現在に至るまで続いているんだなと本書を読んで思った。人が死すべき運命にあるのは今も昔も変わらない。そんな死者たちを思う気持ちも根底では変わらないのだろう。だから今でも幽霊に出会う人々があとを絶たないのだと、納得。
集団心理・群集心理というのか、民間信仰というのか、自分も含めて何となく信じてしまっていることって確かにある。信じていなくても、なぜか惹かれてしまうと言う方が正しいだろうか。さすがに河童や座敷童子が本当にいるとは思っていないが、いたとしても自然に受け入れてしまう気がする。
死者を想う気持ちも然り。幽霊という形(?)で見たこと・出会ったことはないにしても、既に亡くなった人が夢に出てくることは誰にでもあるだろう。そんな個々人の想いが合わさって、集団の中で一つになっていったのが“妖怪”なのだと著者は説いている。であれば、昔話の世界だけではなく、現代の我々の世の中でも妖怪が現れてもおかしくはなさそうだ。逆に著者は、大震災あとに新たな妖怪が出現しないことを、人々の想いが内に籠もって昇華できずにいるのではと危惧している。

話は進んで、著者は、VR(バーチャル・リアリティ)やVTuberも、過去から続く風俗の延長線上にある物だと解釈している。知らない世界への紀行譚が人々の関心を集めたのと同じ感覚で、VRもウケているのだと。空を飛んだり、海の中を進んで行くVRによる疑似体験は、物語を読んで頭の中で空想するのと同じものだと言うことだ。そんな風に新たなテクノロジーの受容の仕方を解釈すれば、次に流行るものも過去の事例から推し量れそう。なかなか面白い観点です。

★発売前の途中(二章まで)までの感想ですので、発売されて全部読んだらまた追記します。予約はもう、可能です。

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