愚管抄 全現代語訳

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★ あらすじ

中国の史書に倣って、日本の皇帝年代記(天皇の系譜)を書き記す。併せて、主な臣下も述べる。
それは、第一代の神武天皇から、第八十六代の今上天皇(後堀河天皇)までだ。
(以下、各天皇について在位期間、即位時の年齢、享年、主な事蹟が語られる)

神武天皇から成務天皇までの十三代は、子どもが皇位を継いでいる。これはものの道理に適った、正道の状態だった。
だが、その後は天皇家の中で殺し合いが起きたり、武烈天皇のような悪王が現れたりしてくる。そして、崇峻天皇は臣下の蘇我馬子に殺されてしまうが、その後はかの聖徳太子と共に政務を行っていて、なんの天罰も下っていない。このことから、仏法によって王法が守られるという道理が明らかになる。

その後は臣家が現れて、世を治める時代になっていく。天照大神が天児屋根命(藤原氏の祖先神)である春日大明神に天皇を補佐せよと命じてからだ。藤原鎌足が生まれ、天智天皇とともに国を治めていったのだ。日本は、国王の力だけでは治まらず、臣下と共に政治を行うことが必要だ。これが新たな道理となり、今日まで続いている(今も、藤原家が摂政・関白や大臣を務めている)。

保元元年(1156年)に鳥羽法皇が亡くなると、日本国始まっていらの反乱が起きる。これ以降、武者の世になってしまうのである。本書はこのことが起こるに至った経過・理由を明らかにするのが目的として書かれたのだ。

★ 基本データ&目次

作者慈円
発行元講談社(講談社学術文庫)
発行年2012
副題全現代語訳
ISBN9784062921138
訳者大隅和雄
  • 巻第一
  • 巻第二
  • 巻第三
  • 巻第四
  • 巻第五
  • 巻第六
  • 巻第七
  • 補注
  • 学術文庫版へのあとがき

★ 感想

本書は、鎌倉時代初期(承久の乱の前辺り:1220年頃)に著された書物。承久の乱後に加筆・修正もされたらしい。筆者は天台宗僧侶の慈円。父親は、摂政・関白を三十数年に渡って歴任した藤原忠通(通称(?)「法性寺殿」)。保元の乱の前年に生まれ、時代が貴族の世の中から武士の世の中へと変わっていく様を見て行くことになる。
承久の乱では、後鳥羽上皇が権力奪還を目指して鎌倉幕府執権の北条義時討伐を目論んだが敗戦。そんな時代に書かれた本書だが、「源頼朝は立派だった」とか、「藤原忠実(慈円の祖父)と藤原忠通(慈円の父)が不仲だったのはよろしくない」など、単純に摂関家擁護ではない事柄が綴られている。

保元の乱、承久の乱も遙か昔の話。まさに歴史の一ページなのだが、慈円にとっては「現代」であった訳だ。慈円が見てきた世の中を語っているのだから、この本は「現代史」なのだろう。自分のおかれている立場からの見解・解釈となるのは必然。でありながら、単純な朝廷万歳・摂関家礼賛ではないところが面白い。摂関家の一員ではありながら、僧侶として学門も究めて行っていたからなのだろうか。
世の中の正義は相対的であり、何が良いことか悪いかを真に客観的に見極め、語るのは不可能だ。“勝者の歴史”は敗者の存在さえ否定してしまう。その点、本書はここの出来事をきちんと記述しているように思える。もちろん、慈円には「これが正義。世の中はかくあるべき」という考え・信念があって、それを元に批評を入れながら書いている。だが、自分の身内(祖父と父)の諍いなども、批判をしながらも、そのような事実があったことを書き残している。鎌倉幕府が書き残した「吾妻鏡」と読み比べると面白いだろう。

この時代は、仏法では「末法の世」に当たるそうで、仏教が廃れて世の中が悪くなる時期と考えられていた。そんな終末感が漂う中、では今をどう生きていけばいいのか、何を信じて、何を為せばいいのかを説いているところも共感できる。内容はともかく、「人はいかに生きるべきか」というのは永遠の問いだろう。慈円がその問いに真摯に向き合っている点に感嘆する。

現代語訳は非常に読み易く、また随所に天皇家や摂関家の家系図を挿入してくれているので助かる。似たような名前が一杯出てきて、さらには「法性寺殿」だの「九条殿」だのと、当時の通称で呼ばれることも多いので、そのままだと混乱してしまう。家系図を参考にしながら読み進められるのはグッド。

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