現代語訳 吾妻鏡 1 頼朝の挙兵

記事内にアフィリエイト広告が含まれています。

★ あらすじ

「吾妻鏡」は鎌倉幕府将軍の年代記である。治承四年(1180)、東国の武士に対して以仁王が「平家討つべし」の令旨を出したところから始まり、文永三年(1266)に鎌倉を追われた前将軍宗尊親王が京都に戻るまでを記している。
編纂の時期、編纂者は現在も明かではない。しかし、「朝廷の権威(以仁王の令旨)と、源頼朝という武士の長者、北条氏をはじめとした東国武士団の三者が合わさって鎌倉幕府が始まった」としているのが「吾妻鏡」の主張だ。
武家政権がどのように形成され、展開していったかが記述されていることから、徳川家康を始め、多くの武将も好んで読んだと言われている。

「吾妻鏡」は貴族の日記と同様に、和風漢文で記されている。その日ごとの干支と天候、時刻を記し、当日の出来事を述べている。また、その出来事に関連する文書や人名を列挙することも為されている。
人名は官位で記されるのが基本で、源頼朝の場合は兵衛佐の唐名である「武衛」・「前武衛」とされ、同様に源義経は検非違使の左衛門少尉である「廷尉」が用いられている。


治承四年(1180)庚子 四月小 九日、源三位頼政卿は、平相国禅門清盛を討ち滅ぼそうと、子息伊豆守仲綱を伴い、一院(後白河)の第二王子である以仁王の住まいである三条高倉の御所に密かに参上した。そして、「前右兵衛佐(さきのうひょうえすけ)頼朝を始めとする源氏に呼びかけて平氏一族を討って欲しい」旨を申し述べると、以仁王は散位宗信に命じて令旨を下された。そして、陸奥十郎義盛に各地の源氏に伝えるよう仰せられた。義盛は八条院の蔵人に任ぜられ、名前を行家と改めた。

治承五年(1181)(のち、改元され養和元年となる) 閏 二月大 四日、戌の刻、入道平相国(清盛)が九条河原口の(平)盛国の家で亡くなった。先月から病気だったという。遺言では、子孫はひたすら東国を帰服させる計略を立てて実行せよ、とのことである。

★ 基本データ&目次

編者五味文彦, 本郷和人
発行元吉川弘文館
発行年2007
副題頼朝の挙兵 治承四年四月~寿永元年
ISBN9784642027083
  • 「吾妻鏡」とその特徴
  • 「現代語訳吾妻鏡」の底本について
  • 本巻の政治情勢
  • 吾妻鏡 第一
    • 治承四年(1180年)
  • 吾妻鏡 第二
    • 養和元年(1181年)
    • 寿永元年(1182年)
  • 付録
    • 干支表
    • 時刻表・方位
    • 旧国名地図
    • 平氏知行国・荘園・家人図
    • 平氏家人一覧
    • 源頼朝の挙兵関係地図
    • 天皇家系図
    • 摂関家系図
    • 平氏系図
    • 源氏系図
    • 桓武平氏諸流系図(抄)

★ 感想

私が学生だった頃は、日本史の教科書には「1192年 鎌倉幕府成立」とあり、“いい国つくろう鎌倉幕府”で年号を記憶してました。でも、最近はこの成立年に対していろいろな説が出され、どれも完全なコンセンサスは得られていないとか。その理由が、この一冊を読んでよくわかりました。鎌倉幕府というか、頼朝政権は“徐々に形作られていった”んですね。確かに、これだと明確に「ここが始まり」と線引きするのは難しそう。

歴史書(正史)というと、古事記・日本書紀のように、歴代支配者(王や皇帝、天皇)や英雄の事績を紹介する形になっているもの(本紀・列伝)というイメージがあったんですが、「吾妻鏡」ってだいぶ雰囲気が異なりました。もちろん、将軍たちの年代記なのですが、所謂、日記の調子で日々の出来事が綴られている形。なので、話があっちこっちに飛んで、読み物としては至極読みにくい気がします。でも、それ故に生々しく、当時の状況を知ることができる面もあり、資料としても魅力的。

大雑把な印象ですが、

  • 家臣(まだ明確な主従関係ができていない場合もありそうなので、この表現は正しくないかも)に対する恩賞や懲罰の話。
  • 戦勝祈願のため、神社仏閣(神仏習合のため、分類がわかりにくい)に対する土地の寄進。
  • 土地の支配権にまつわる訴えに対する裁判。

の話が多かった感じです。これらの行動を繰り返していき、政権としての地盤を固めていったことがよくわかります。もちろん、戦闘によって敵方(平家側)を倒していった結果、これらが可能になっていったのですが、徐々に東国の支配権を獲得していった様子が、日々のこれらの出来事によって“築き上げられていった”という表現にピッタリの形で述べられています。

逆に、意外と少ないと思ったのが、合戦・戦争に関する記述。もちろん、誰が誰を攻めて倒した、という話は人物名を含め細かに“事件”としては書かれていますが、戦闘の経過はあまりなく、結果が淡々と書かれているだけ。以仁王の挙兵にしろ、富士川の合戦(雁が飛び立つ音を敵の襲来と間違えて、平家軍が敗走したと言われるやつ)にしろ、数行で終わってます。戦記物ではないからなのでしょうが、それにしてもちょっと拍子抜け。

このシリーズ、全十六巻+別巻の十七巻が刊行されています。読破するのは大変そう。でも、それだけの価値はあり。平家の台頭をベースに、武家政権を確立していった歴史はとても興味深いものがあります。いつか、全巻読んでみたいな。とは言え、とりあえず、電子書籍にしてくれないと本棚に入らないですね。Kindle化、期待します。

★ ここで買えます

ご参考

コメント

  1. […] 「現代語訳 吾妻鏡 1 頼朝の挙兵 | Bunjin’s Book Review」に続く、二巻目。 […]

  2. […] 保元の乱、承久の乱も遙か昔の話。まさに歴史の一ページなのだが、慈円にとっては「現代」であった訳だ。慈円が見てきた世の中を語っているのだから、この本は「現代史」なのだろう。自分のおかれている立場からの見解・解釈となるのは必然。でありながら、単純な朝廷万歳・摂関家礼賛ではないところが面白い。摂関家の一員ではありながら、僧侶として学門も究めて行っていたからなのだろうか。世の中の正義は相対的であり、何が良いことか悪いかを真に客観的に見極め、語るのは不可能だ。“勝者の歴史”は敗者の存在さえ否定してしまう。その点、本書はここの出来事をきちんと記述しているように思える。もちろん、慈円には「これが正義。世の中はかくあるべき」という考え・信念があって、それを元に批評を入れながら書いている。だが、自分の身内(祖父と父)の諍いなども、批判をしながらも、そのような事実があったことを書き残している。鎌倉幕府が書き残した「吾妻鏡」と読み比べると面白いだろう。 […]