現代思想2020年1月臨時増刊号総特集明智光秀

★あらすじ

対談 小和田哲男+柴裕之 明智光秀は私たちに何を教えてくれるのか

三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)を中心に話が作られていたのは大河ドラマだけではなく、歴史研究についても同じ。明智光秀のような”脇役”、”周囲の人々”にも目を向けないとダメだ。
近年になって史料がたくさん発見され、県史・市史も充実してきて、家臣や国衆に関する史料にまで広がっている。明智光秀に関しては「石谷家文書」の発見が大きい。四国の長宗我部氏に対する織田信長の政策転換が大きな意味を持っていたことが史料として明らかとなった。

明智光秀の出自は謎のままだが、連歌や茶の湯などの教養を兼ね備えていたことから考えると、生まれや、放浪の時期の活動が想像できる。また、京都における公家衆との付き合いを見ても、そんな関係が不思議だと思わないほどに出自は卑しからぬものだったのではないだろうか。

「淡海温故録」における明智十兵衛の正体

「淡海温故録(おうみおんころく)」は江戸時代前期(十七世紀)に成立したものだ。明智光秀は一般に美濃国の出身と言われるが、ここには近江国犬上郡佐目(現在の多賀町佐目)の出身と既述されている。
光秀の二・三代前の先祖に「明智十左衛門」という人がいて、美濃国で土岐成頼に使えていたが後に背き、浪人となって近江に渡り、六角高頼を頼ったという。そしてのちに光秀が生まれたというのだ。

多賀町佐目には今も明智光秀出生地伝承が伝わっている。当地の十二相神社側の畑地のことを地元では「十兵衛屋敷」と呼び伝えている。また、この集落には「見津(けんつ)」と名字とする人々が住んでいて、彼らの祖先は明智光秀の家臣だったと言われている。光秀の「光」の一字をもらい「見津(みつ)」と名乗ったが、光秀が謀反人であることを憚って「見津(けんつ)」と読んでいるのだとか。
この他にも多くの明智光秀関連伝説が当地に残っている。

明智光秀の墓

戦国時代の最終的勝者である徳川家康の墓は日光東照宮だ。これは紛れもない事実として誰も疑わない。だが、敗者である明智光秀には、墓や塚と伝えられているものがいくつもある。確認できるだけで

  1. 明智光秀塚(京都府京都市東山区白河筋三条下ル梅宮町
  2. 明智一族の墓(滋賀県大津市坂本 西教寺境内)
  3. 明智塚(滋賀県大津市下阪本)
  4. 明智藪(京都府京都市伏見区小栗栖小阪町)・明智光秀之塚(京都府京都市伏見区勧修寺御所内町)
  5. 桔梗塚(岐阜県山県市旧美山町中洞)
  6. 明智光秀墓所(和歌山県伊都郡高野町高野山、高野山奥の弘法大師廟参道)

光秀の最期は、遺体が斬首され、晒し首となり、罪人の辱めを受けた。当然、葬儀も行われなかった。敗者中の敗者が光秀なのだ。しかも、1.の塚では怨霊となって祟りを起こすまでになり(と信じられ)、御霊となって祀られたのだ。

★基本データ&目次

作者小和田哲男, 芝裕之, 他
発行元青土社
発行年2019
巻数第四七巻第一六号
ISBN9784791713905
  • 対談 小和田哲男+柴裕之 明智光秀は私たちに何を教えてくれるのか
  • 光秀と信長
    • 金子拓 光秀主君織田信長
    • 天野忠幸 信長を裏切った家臣たち――久秀・村重・光秀
    • 河内将芳 信長はなぜ本能寺に滞在していたのか
  • 明智光秀とは何ものか
    • 早島大祐 入京以前の明智光秀
    • 浅利尚民 「石谷家文書」から見える明智光秀と本能寺の変
    • 井上優 「淡海温故録」における明智十兵衛の正体――光秀は近江国で生まれたか?
    • 木下聡 明智光秀と美濃国
  • 明智光秀と人びと
    • 田端泰子 明智光秀ゆかりの女性たち
    • 堀新 正親町天皇と信長・光秀
    • 神田裕理 光秀と朝廷
    • 平井上総 長宗我部元親と明智光秀
  • 談話 本郷和人 歴史を学ぶとはどういうことか
  • 明智光秀をめぐる想像力
    • 大澤真幸 理性の狡知――本能寺の変における
    • 小泉義之 謀叛と歴史――『明智軍記』に寄せて
    • 山本一生 本能寺の変と二・二六事件
    • 野口隆 明智光秀と粽
    • 福嶋亮大 「消失する媒介者」としての明智光秀
  • 明智光秀を読み解く――知性・文化・政治
    • 千田嘉博 光秀の城
    • 岩田重則 明智光秀の墓
    • 綿抜豊昭 明智光秀の教養
    • 竹本千鶴 茶人・明智光秀の作意、そして心の闇
    • 鈴木将典 領主・明智光秀

★ 感想

現在(2020年)放映中のNHK 大河ドラマ『麒麟がくる』では明智光秀が主人公となっている。本書はそれに合わせる形で、前年に刊行されたもの。巻頭対談の小和田哲男氏はドラマの歴史考証も担っている方。その他にも、歴史研究の専門家、文学者、社会学者などなど、各分野のみなさんの寄稿を集めている。

なるほど、専門家がここまで揃っていても、明智光秀に関しては諸説紛々なのかと改めて驚いた。本能寺の変の原因は元より、明智光秀の出生地や、信長に仕えるまでの生い立ち(半生)、そして死後に葬られた地まで語られることがバラバラなのだ。歴史は勝者が作るとは言え、ここまでとは凄い。平家物語で完全にヒールの汚名を着せられてしまった平清盛でさえ、「平清盛の闘い | Bunjin’s Book Review」、「新・平家物語 | Bunjin’s Book Review」などで語られたように、実はこうだったと徐々に”復権”しているし、白河院の御落胤だったかは別にして、その生い立ちや徐々に出世していった道筋は史実としてある程度定着している。それに比べての明智光秀は酷すぎる。信長に仕えてからの”功績”でさえ、人に横取りされているらしいのだから。

歴史の専門家の間でさえコンセンサスが得られていない話ばかりだ。そんな場合、我々一般人はどのように理解し、捉えれば良いのだろうか。教科書で習ったことが史実ではなかった(もしくは、有力な別の説が出てきた)ことはよくあるが、それでも「実はこうだった」とそれなりに説得力を持った新説・対案が提示されたので分かり易い。でも、明智光秀については”まるで分からない”と言われている訳だ。
とりあえずは、今回の大河ドラマで語られる・描かれる明智光秀の像を新たなスタンダードとして捉え、その他の説と見比べていけば良いのだろうか。本書で「その他の説」も色々と知ることができたし、今後の研究の進展を期待してまずは、「こんな話もあるんだ」と覚えておこう。

大河ドラマブームで、明智光秀関連の書はたくさん出ているようだが、その中でも本書は「諸説あり」の状況を知るのにぴったりだと思う。読むべき一冊。

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