不完全性定理

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★あらすじ

古代ギリシャ人たちは「~らしい」と「~である」の違いに拘った。物事に対し、なぜそうなのか根拠を問いただし、明らかにしたがった。ダレスは「問題として取り上げ、根拠を問う」ことで論理的証明をすることを形作っていった。ユークリッドは、今で言う幾何学の大系をまとめ、「原論」を表した。そして、「原論」はその後長きに渡って読み継がれていく。
「原論」では、

まず前提を明らかにし、それから一歩一歩、証明を進める

形で語られる。

「定義」とは、「知らない言葉を知っている言葉で説明する」ものだが、では、最初に習う(知っている)言葉の定義はどうすれば良いのか。それらは定義や証明のいらない無定義語として扱うこととした。それらを「公理」と呼ぶ。また、理論体系の出発点となる公理のリストを公理系という。ユークリッドの公理系は「我々の世界をモデルとする風景画」(自然を表すもの)と考えられる。しかし、その後、「特定のモデルを想定していない公理系」が現れる。例えば、加算であれば

x+(y+z)=(x+y)+z, x+y=y+x

などの基本的性質をいくつかの「公理系」にまとめれば、加算に共通する定理をまとめて証明できるようになる。

現代に移り、集合論が生まれてくる。その創始者はドイツの数学者カントルだ。集合論の記法を使えば、数学的な概念は全て例外なく記述できるようになった。そしてカントルは驚くべき発見をしていく。1対1で漏れのない対応によって色々な集合を比較していくと、「全体が部分と等しくなる(1対1の対応付けができる)」ことや、無限にも程度があって、「自然数よりも実数の方が数が多い」などが示されていった。

証明の仕方、推論も形式化されていく。論理式を用いた記法により、証明自体もモデル化され、一般の言語に依らない記述が可能となっていった。

ここに至って、数学そのものを議論する数学「超数学・メタ数学」が現れてくる。公理系によって記述された数学の形式的体系を対象にして、

  1. 公理系は、望みの命題を全て証明できるよう、充分に与えられている:完全性
  2. 公理系はすべて必要で、どの一つも欠くことができない:独立性
  3. 公理系は自己矛盾を含まず、互いに矛盾するような定理は決して出てこない:無矛盾性

が理想の体系だとヒルベルトは考えた。つまり、ヒルベルトは「数学は正しい体系だ」との想いがあった訳だ。

だが、ゲーデルによってそれが否定されてしまったのだ。

★基本データ&目次

作者野崎昭弘
発行元筑摩書房(ちくま学芸文庫)
発行年2006
副題数学的体系のあゆみ
ISBN9784480089885
  • はじめに
  • 第1章 ギリシャの奇跡
  • 第2章 体系とその進化
  • 第3章 集合論の光と陰
  • 第4章 証明の形式化
  • 第5章 超数学の誕生
  • 第6章 ゲーデル登場
  • 参考文献
  • あとがき
  • 文庫版あとがき

★ 感想

タイトルが「不完全性定理」となっているが、その用語が出てくるのは最終章(第6章)になってからだ。読み始めるといきなり、古代ギリシャの話が出てくる。あれ?間違えて違う本を選んじゃった?と戸惑ってしまう。だが、サブタイトルにある通り、この本は「数学的体系のあゆみ」を順に説明してくれている本だったのだ。確かに、いきなり現代数学の説明をされても着いていけない。分かり易く話をするには古代ギリシャまで立ち戻って説明を始めなければならないのだ。この本を読んでそれがよくわかった。数千年分の知の歴史を辿る形だが、お蔭で「不完全性定理」がどんなものか、そしてどんな意味を持っているのか、さらには「数学ってなかなか面白いじゃん!」と思えたのでした。

一部のマニアックな方を除いて、数学というとどうしても苦手意識があったり、取っつきにくかったり、さらには「そんなもの勉強しても、世の中に出てから使う機会がない」と思ってしまったりする人が大半なのではないかと思います。

著者はアルゴリズム論などの応用数学が専門の数学者とのことですが、翻訳も含め、専門書・一般書双方ともにたくさんの著書がある。そのため、文章も平易で、それでいて適度に(ちゃんと?)数式・図も用いているので非常に分かり易かった。数学の専門書というと、定理と証明がずらずらと並び、「で、その心は?」というのが書いていない。でも、本書で著者は、その定理や定義づけがどういう意味を持つのか、何が面白いのかもちゃんと示してくれている。カントルの「対角線論法」などは学生の時に勉強して、「自然数と実数の間に全単射はない」という結論も知ってはいたけど、「で、それの何が面白いの?」は正直、ピンと来ていなかった。それが、同じ無限の集合と言っても“大小がある”という不思議さ、直感に逆らう世界があると言うこと、数学ってやっぱり奥深いなと言うことが感じられたのだ。
学校の数学の教科書は、あれはあれで簡潔に書かれていて悪くはないと思うけど、本書のような“副読本”も一緒に提供されるといいんじゃないかと思った。教科書だけからだとなかなか「その心は?」まで読み取ることができないし、学校の先生もそこまで教えてくれる人は少ない(皆無?)だろう。それが数学嫌いを量産する原因だと思う。本書を先に読むことによって、「なんか数学って面白そうだな」、「数学って不思議だ」と好奇心が湧き、数学って何を解き明かそうとする学門なのか分かる。それによって、無味乾燥と思われる数学の教科書や授業も、もっと楽しくなるはず。ひいては、学校の授業全体に苦手や嫌いがなくなり、よりよい学生生活を送れるようになるかも。教育改革って、そんなところから(副読本として本書のようなものを提供する)始めれば良いんじゃないだろうか。

と、年の初めにそんなことを思ったのでした。

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