日本の鬼図鑑

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★あらすじ

「オニ」の語源は「隠(オヌ)」つまり、目に見えない恐ろしいものと平安時代の文献に記されている。それが鈍って「オニ」となり、中国では資料を表していた漢字「鬼」が当てられるようになった。

酒呑童子を初め多くの鬼の伝承がある「大江山」だが、実際にどの山なのかは諸説ある。京都丹後の大江山や、山城国と丹波国の境にある大枝山などが候補だ。いずれにせよ、京都から見ると山陰地方との交通路に位置している。山陰地方では金属鉱脈が豊富であったため、大和政権が地方勢力を排除、支配していく。その過程で自らの行為を正当化するため、地方勢力を鬼やら土蜘蛛と呼び、悪者に仕立てていったのだ。その侵略の中で“活躍”したのが源頼光たちだった。
源頼光らは神から授かった酒を酒呑童子たちに飲ませ、酔ったところを討ち取る。それに対して鬼たちは「鬼に横道なし(鬼は卑怯な真似はしない)」と言ったとある。

時代が進み、中世になると、嫉妬や恨み、そして衝撃的な体験をした「人」が鬼になるという話が出てくる。天神様でお馴染みの菅原道真は、太宰府に左遷させられ、失意のうちに亡くなる。その魂は怨霊の鬼(雷神)となって都を恐怖に陥れた。
安達原の鬼婆は、使えていた姫の病に効くと信じて、身ごもっていた女の腹を切り裂き、胎児の肝を取り出す。その後、その女が自分の実の娘だった事を知り、気がふれて鬼婆となってしまった。

江戸時代になると、鬼は「愛すべきキャラクター」となり、大津絵ではユーモラスな仕草をする鬼たちが描かれるようになっていくのである。

★基本データ&目次

作者八木透
発行元青幻舎
発行年2021
ISBN9784861528668
  • 序章 鬼とは
  • 一章 鬼の故郷―大江山
  • 二章 退治された鬼
  • 三章 鬼になった人間
  • 四章 広まった鬼
  • 五章 仏教から生まれた鬼
  • 巻末 鬼の資料
  • あとがき

★ 感想

「おに(鬼)」という言葉が示すものは時代によって変わっていったということがよくわかる。その昔は敵対する勢力を鬼と呼んで「我に正義あり」としたようだ。それは、太平洋戦争中に「鬼畜米英」と敵国を呼んでいたことを思い出させる。千年以上の時が経っても、何ら変わりのない“プロパガンダ”に人の本質を見るようで怖い。
そう、大江山の鬼たちは、だまし討ちをした源頼光たちに「鬼は卑怯な真似はしない」と言ったとあるが、当時も侵略行為に対して後ろめたさがあったということだろうか。控えめな表現ではあるが、過去の行為に対しての反省、いや少なくとも悔恨の念を表したと言う意味では、我々も見倣うべき点がありそうだ。

その後、鬼の存在はパーソナルなものになっていったと本書では示されている。個人的な恨みや過ちなどが原因となってその人が鬼になるとの考えは、個々人の精神世界がより深まっていったことの表れなのだろう。精神に異常を来した人が、時として暴力的になり、大事件を起こすことは現代にあってもよくある話だ。そんな、理解を超えた行動に意味づけをし、その“原因”を知りたいという人びとの思いが「その人は鬼になった」という“説明”だったのだろう。得体の知れない事象に対して解釈をすることで納得感を得られ、安心、いやすくなくとも不安を忘れさせてくれることに繋がった訳だ。

「レッテルを貼る」行為の中で「鬼」はよく用いられる「レッテル」だ。ギャル用語にさえ使われるようだし、それだけ我々にとっては馴染みのあるものになったのだろう「鬼」という存在は。
そんなことを思い起こさせてくれる一冊だった。

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