世界哲学史5 中世III バロックの哲学

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★あらすじ

第五巻は十四世紀から十七世紀までを扱う。大航海時代、西洋における活版印刷の発明、宗教改革、ルネサンスなどがこの時代を象徴している。中世から近世への移行期にも当たる。

西洋において十七世紀は中世から抜け出した時代と言われるが、実際は宗教裁判が強化され、魔女狩りも盛んだった。ここでは、一四世紀と一五世紀は後期スコラ哲学の時代、近世デカルト以降の有名な哲学者たちは世俗的バロック哲学として分類してみる。

中世から近世の移行期では唯名論がキーとなる。アリストテレスから始まる実体論を否定し、事物の側の実体論的構造を前提せず、個体主義的、外延主義的な枠組みをとったのが、唯名論だった。

近代西欧では、インドの宗教伝統に魅了されたショーペンハウアーなどによる神秘主義も盛んになる。ただし、現在一般的に考えられている神秘主義とは異なり、「神秘主義(mysticism)」という新語は、合理主義、世俗主義、植民地主義に掉さして発展した近代西欧の学知が、西欧の内外に発見された 他者たちの宗教的知のあり方 を語るために用いた術語だったということだ。

商業革命とも言える経済思想の変化が生まれたのもこの時代だ。ギリシア以来、すべての経済行為は等価性を規準とし、貸借において、返却が時間を経た後であったとしても、無利子で、元本と同額の金銭を返却するのが基本とされていた。これはローマ法(市民法) においても教会法においても同様であった。しかし、この時代になると貨幣経済が発展し、資本主義の原型と言えるものが生まれてくる。そして、利子を取ることは悪いことではなくなっていった。

この移行期において、神学と哲学の関係に変化が表れる。それまでは神学が哲学の基礎として位置づけられていたが、「こういった 超自然 的な玄義に触れうるのは神学であって、哲学ではない。哲学の任務は、人間の 自然 本性に基づく理性が届く範囲に限られるのだから」として、神学者の神学者たる根拠は 信じる力 に、哲学者のそれは 知る力 にあると、各々の分離が進んで行く。やがて、デカルト的な新しい機械論哲学、数学的方法に基づく自然哲学がホッブズ、スピノザ、ライプニッツなどによって構築されていく。

近代朝鮮においては朱子学を精緻化する動きが中心となり、「礼論」に依る形式化、老論派による政治化、南人派による霊性化が進んでいく。

十四世紀、中国では元から明へと王朝が替わる。明においても科挙では朱子学の解釈が採用されていた。しかし、十五世紀末に登場した陽明による陽明学が変化をもたらす。独我論(実在の成立が、それを認識する人の心の成立に依存しているという考え)がその中心となる。天地万物は一体なので、「あなたの心」も「私の心」も一体であり、それぞれがみているものの存在が成り立つ。

★基本データ&目次

編者伊藤邦武, 山内志朗, 中島隆博, 納富信留
発行元筑摩書房(ちくま新書)
発行年2020
副題中世III バロックの哲学
ISBN9784480072955
  • はじめに
  • 第1章 西洋中世から近世へ
  • 第2章 西洋近世の神秘主義
  • 第3章 西洋中世の経済と倫理
  • 第4章 近世スコラ哲学
  • 第5章 イエズス会とキリシタン
  • 第6章 西洋における神学と哲学
  • 第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
  • 第8章 近代朝鮮思想と日本
  • 第9章 明時代の中国哲学
  • 第10章 朱子学と反朱子学
  • コラム1 ルターとスコラ学
  • コラム2 ルターとカルヴァン
  • コラム3 活版印刷と西洋哲学
  • コラム4 ルネサンスとオカルト思想
  • あとがき
  • 編・執筆者紹介
  • 年表
  • 人名索引

★ 感想

中世では、自然“科学”は、自然の中に隠された神のメッセージを読み解くことであった。それがこのバロック哲学の時代を通して徐々に変わっていったことが分かった。だが、その流れは文字通り「徐々に」であって、例えば微積分法を発見(発明?)したライプニッツも、世界が矛盾なく存在しているのは神が完全に調和している世界を創造したからだと考えていた。方法論は近代合理主義的なもの(数学)であったが、目指していたのは神のメッセージの解読(世界の調和)だった。現代の我々から観るとなんとも歯痒い。まあ、現代においても聖書の内容を一字一句真実だと思っている人が山のようにいるのだから、人のことは言えないが。

哲学と神学の関係が変わっていく様子については本書で触れられていく。が、神学と科学の分離は次の巻で語られているようだ。本書は、その萌芽となる時代の動きを述べているという意味で私は面白く読めた。いわゆるパラダイムシフトがどのように生じていくのか、その中でもかなり大きな変化がこの時代に起きていたということだ。

あと、分量的にはちょっとしかなかったが「西洋中世の経済と倫理」の章も面白かった。金を儲ける、利子を取ることに対する考え方の変化(以前は、神の教えに反する行為と思われていた)は、神学と哲学、科学との関係の変化云々よりも、実は大きな意味を持っていたんじゃないかな。日々の生活における感覚が変わっていくことが、ボディーブローのように効いていく、ということになったのかな、と。

一方で、東洋の動きは少々分かりにくかった。朱子学一辺倒だったのが徐々に変わっていくという流れだと思う。しかし、良くも悪くも「神」という絶対的存在に対する考え方の変化という西洋の流れに対し、“軸”となるものが今ひとつ不明瞭な東洋の哲学は全体像を捉えるのが難しい。勉強不足を痛感した。

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