以下の内容は、いわゆる「ネタバレ」を含んでいます。
★あらすじ
キャシーHは「提供者」の面倒を見る「介護人」を十数年にわたってやってきた。すでに三十一歳。もうすぐ引退だ。
彼女はかつてルースやトミーと暮らしていたヘールシャムの施設にまつわる子どもの頃の記憶を辿っていった。ヘールシャムでは小学生から中学生くらいの多くの子どもたちが暮らし、学んでいた。授業は「保護官」と呼ばれる女性たちによって行われた。
彼女たちは絵を描くことや粘土細工、エッセイを奨励された。出来の良い作品が選ばれ、時々ヘールシャムを訪れるマダムと呼ばれる人が引き取っていった。彼女たちは「展示館」に持って行かれるものだと信じていた。だが「展示館」が本当に存在するのかは誰も知らなかった。ヘールシャムの施設で代々語り継がれてきた噂に過ぎなかった。結局、なぜ芸術作品の制作が奨励され、優秀作が選ばれ、そしてヘールシャムから持ち出されていくのか、その理由を生徒たちは知らされることはなかったのだ。
トミーはかんしゃく持ちで不器用だった。そして絵が下手だった。彼の絵が「展示館」行きになることは無かった。そのことで彼は他の子どもたちからからかわれもした。仲間外れにされることもあった。だがキャシーHだけはいつも彼の味方、理解者だった。
成長するにつれ、徐々に自分たちが何者なのか、その存在の意味を理解し始めていく。その最初はマダムだった。「展示館」に作品を持っていく彼女。お高くとまっているように見えたので「マダム」と呼ばれていた女性。だが、ある生徒が、彼女は自分たちを怖がっているのではないか?とある日、言い出した。それを試すため、マダムがヘールシャムへ来訪した日、集団で彼女の脇を通り過ぎてみた。そう、単に歩いて横を通っただけだ。マダムが生徒たちに恐怖しているのがはっきりと分かった。彼女の顔には、蜘蛛や何かを見るような嫌悪感が浮かんでいたのだ。
自分たちは恐怖される対象だ。そう、彼女たちは理解し始めたのだ、自分たちがどのような存在なのかを。
★基本データ&目次
| 作者 | カズオ・イシグロ |
| 発行元 | 早川書房(ハヤカワepi文庫) |
| 発行年 | 2008 |
| 副題 | |
| ISBN | 9784151200519 |
| 原著 | Never Let Me Go |
| 訳者 | 土屋政雄 |
★ 感想
最初の章で既に「提供者」だの「介護者」だの、「四回目の提供」だのという話が出てくる。そこでもう、この子どもたちが“普通の存在”ではないことは分かったはずだ。だが、その後に淡々と続くキャシーHの独白によってそんなことを忘れてしまい、ヘールシャムは孤児たちの施設か何かと思い込んでしまった。舞台は1990年代のイギリス。彼ら・彼女らが暮らす施設ヘールシャムは全寮制のイギリスの学校を彷彿とさせる。教師(保護官)がすべて女性というのは修道院に併設された施設なのかと思わせる。
だが違っている。冒頭で“説明”があった通りに、この作品はいわゆる“SF”だ。臓器提供を目的に造られたクローン人間たちの話だ。キャシーHやトミーは誰かに臓器を提供するための存在だった。しかも、一回ではなく何回も。そして提供後のリハビリを手伝うのが、キャシーHがやっている「介護人」と言う訳だ。クローン人間の世話をクローン人間にやらせている、という仕組みなのだ。
以前、カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ。時代に取り残された“執事”の物語で、主人公の執事が過去の想い出を淡々と、詳細に語っていくという形で話が進む作品だった。そして本作「わたしを離さないで」では主人公のキャシーHが子どもの頃の記憶を事細かに語っている。どちらにも共通しているのは“彼らだけの世界”に閉じた価値観や世界観に基づいた話になっていること。もちろん、誰もが自分なりの価値観・世界観を持っている訳だが、カズオ・イシグロの作品の主人公たちは特殊でとても狭い、閉じた世界に生きている。だから、彼ら・彼女らの“常識”は読者である我々とは大きく異なっている。それなのに、読み進めていくと自分との共通感覚が見えてくる。敢えて特殊な環境を造ることで、それでも普遍的な価値観があるんだと気が付く訳だ。
自分は何者なのか、いや何なのか。神話を語り始めた太古の人々、哲学と今日呼ばれるものを語り出した古代ギリシャ人。数千年前から「Who am I?」は普遍的でありながら、答えのない問いであり続けている。
SFだというのに、そんな雰囲気は微塵も感じさせない。「日の名残り」や「遠い山なみの光」などの作品と雰囲気は変わらない。この感覚は三島由紀夫の「美しい星」を読んだ時と同じかも。「この人はSFも書くのか?!」と素直に驚いた。とにかく、読んでほしい一冊だ。


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