物理学と神

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★あらすじ

十七世紀の科学革命により、神の存在はこの大地には必要なく、宇宙の彼方へと追いやられた形となった。不遜にも科学者たちはさらに「悪魔」を登場させ、神が創造したこの世界の調和をかき乱させた。
古典物理学においては、物質に働く力が全て知られていて、ある時刻における宇宙の状態を知ることができれば、その時点から過去であろうが未来であろうが全て計算で導き出すことができる。そんな、未来をすべて”予言”できる存在を「ラプラスの悪魔」と名付けた。だが、初期状態と呼ばれる、世界を動かし始める最初の”一撃”は誰が行ったのかまではわからない。その点で、神は最初の一撃だけを加える存在としてかろうじて生き残った。それ以後はただ世界を傍観するだけだが。

神の存在を消し去ったかに見えた科学だったが、十九世紀に入って危機を迎える。ニュートン力学では予知できない現象が発見されてきた。化学反応の規則性から、物質は基礎的な構造物からなる存在だとわかってきた。それは原子と呼ばれるものだ。さらに分光学の発達などにより、原子はさらに微細な構造を持つことが予想されるようになる。今日ではそれらが、原子核とその周りを”回る”電子と分かっている。だが、古典物理学(ニュートン力学)ではそんな構造は不安定で、原子核の周りを回る電子は光を発しながらエネルギーを失い、原子核に吸い込まれてしまうのだ。そこで登場したのが量子力学である。だが、そんな量子力学は新たな”神”を呼び起こすことになる。

量子力学の特徴の一つは、ハイゼンベルクが発見した不確定性原理にある。粒子の位置と速度を同時に確定することはできない、というものだ。速度を制度よく計測すると、粒子がどこにあるかわからなくなる(確率論的に、ここにはこの確率で存在する、としか言えなくなる)。実際、ある標的に電子を照射すると、的のどこに当たるかは確率でしか表せなくなるのだ。これは”初期状態”が不明だとか、計測装置の誤差ではない。つまり、神がサイコロを振って、粒子がどこにあるか決まるようなものだ。アインシュタインはそんな「サイコロを振る神」の存在を認めなかった。

アインシュタインの信念に逆らうように、神はもっと”賭博好き”なことが分かってきた。カオス理論だ。古典力学においては、初期状態がわかればその後の世界は確実に予言できるものだった。だが、ほんのちょっとその状態が異なっていると、その先の世界は全く違ったものになることがある。原因と結果が非線形の関係にあると、未来は予言不可能となる。カオスの例は、単純なものにもある。天体の軌道計算において、星が二つの場合は相互作用をきちんと計算できるのだが、三体になると解が(解析的には)導けないのだ。

神と科学者の鬼ごっこはさらに続くが、科学者の中には「人間原理」を持ち出すことによって、人間を世界の中心に置くが如き思想に傾く者も現れてきた。

★基本データ&目次

作者池内了
発行元講談社(講談社学術文庫)
発行年2019
ISBN9784065147733
旧版物理学と神 (集英社新書) 2002
  • はじめに
  • 第一章 神の名による神の追放
  • 第二章 神への挑戦 ― 悪魔の反抗
  • 第三章 神と悪魔の間 ― パラドックス
  • 第四章 神のサイコロ遊び
  • 第五章 神は賭博師
  • 第六章 神は退場を! ― 人間原理の宇宙論
  • 第七章 神は細部に宿りたもう
  • 第八章 神は老獪にして悪意を持たず
  • 参考文献
  • おわりに
  • 文庫版のためのあとがき

★ 感想

最近、「オリジン・ストーリー | Bunjin’s Book Review」のような、いわゆる”ビッグヒストリー”と呼ばれる論議が人気だ。だが、各種分野の面白そうな話をつなげただけに見えるものも多く、一つの主義主張・思想として説得力ある形でまとまっているとは思えない。そんな中、本書は「神」という決定論的な思想(全ての”原因”は神である)と、原理主義的(ある法則に則って世界はあるだけ)な科学の変遷とを絡めて語ることによって、人々の思想・考え方・共通認識(”常識”)がどのように変わっていったかを描いている。そこでは、ビッグヒストリーと同じように、ビッグバンが語られ、産業革命の影響も議論され、資本主義世界の台頭も述べられている。だが、本書の方がよっぽど説得力がある、意味がある議論に思えた。

人が世界を認識する時、どうなっているのかわからない・手に負えないとなった時に「神」の存在を引っ張り出し、帳尻を合わせようとする。人の歴史は、その度合いの変化なのかもしれない。それは単調な変化ではなく、中世ヨーロッパでは「自然に存在するものは全て神からの啓示」と信じ、神のメッセージを読み解くことが世界を理解することだった。それは古代ギリシアの賢人たちよりも神に頼りすぎていると言えるだろう。

その後も神様は様々な形で復活、引っ張り出されていることが本書の議論でよく分かった。現在でも「宇宙項の値」を決めるのに神の存在が見え隠れしているという話も面白かった。神は相当にしぶといようだ。そう言われると、ダークマターやダークエネルギーも、言い換えれば(何かわからないもの、という意味で)新たな”神”を引っ張り出しているのかも知れない。人間が全てを理解する、宇宙の森羅万象をことごとく知ることはこれからもできない相談なのかも知れないが、そのたびに”再登場”するものを神と名付けて思想史・科学史を議論すると見通しが良くなるようだ。

それにしても「人間原理」の考え方は、自尊心もくすぐられ、ちょっと魅力的に思えてしまったのは危険だ。

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