平清盛の闘い

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★あらすじ

「悪人清盛」のイメージが「平家物語」によって出来上がってしまったが、古代天皇制や仏教勢力と闘い、日宋貿易を積極的に推進した開明性が新たな清盛像を作り上げていた。吉川英治の「新平家物語」は、そんな領主制論的な清盛像に基づいている。しかし、領主制論に立つ限り、清盛は半ば貴族的で武士の政権を構築できなかったとの評価に留まってしまう。
だが、そもそも武士と貴族とは相反する存在だったのだろうか。保元の乱において、摂関家の中心であった左大臣藤原頼長は、源為義などの武士を統率して合戦に及び、自らも負傷している。後の世の足利義満は、王朝政権を吸収して自ら治天の君となろうとした。
逆に言えば、清盛が、平氏が滅亡したことによって貴族政権・武士政権が分立した日本の中世世界が出来上がった。この点を踏まえて清盛の生涯を描いていく。

本書ではその生涯を、

  1. 清盛の生誕から政治の中心に躍り出る契機となった平治の乱まで
  2. 後白河院と衝突した治承三年の政変まで
  3. 権力の頂点に立ってから治承五年閏二月に死去するまで

の三段階に分けて論じている。

平治の乱によって政治の中心にあった信西一門が姿を消し、鳥羽院と院政派の勢力は排除され、清盛は一人勝ちを収めた形となる。源義朝一族や、美濃源氏の光保一族も排除され、軍事貴族は平氏一門のみとなった。事実上、国家的な軍事・警察権を掌握する。国家の号令として清盛は、全国の武士たちを動員する力を得たのだ。だが、それ故に自らの家人を育てることを積極的には行わず、後の鎌倉幕府が組織的に大量の御家人を獲得したのとは異なった形となる。ここに、平氏が常に国家権力に依存し、その中心である王家と結合していくことを宿命づけたのだ。

治承三年の政変によって後白河院を幽閉した清盛は、孫にあたる安徳天皇を即位させる。だが、これを武士による武士政権樹立と見るのは早計である。清盛は武士の出身だが、政変後に武士にとって利益となるような政策をとった訳ではなく、これは、既存の王権である後白河院を排除し、自らが中心となった新たな王権の樹立を目論んだものと言える。もちろん、武力によって既存の王権が否定され、新たな王権へと移ったことの意味は大きい。後の頼朝が帰属政権との衝突を避けて武士政権を樹立したのとは異なり、清盛は王権に対して正面から挑戦していったのだ。
福原遷都もその延長線上にある。新たな王権には、新たな首都が相応しい。旧来の貴族勢力・宗教勢力との関係を絶つためには新たな都が必要だったのだ。清盛が目指したのは、そんな(幻の)中世国家だった。

★基本データ&目次

作者元木 泰雄
発行元KADOKAWA (角川ソフィア文庫)
発行年2011
副題幻の中世国家
ISBN9784044092023
  • 序章 清盛像の変貌
  • 第1章 王権下の清盛
  • 第2章 後白河院との対峙
  • 第3章 王権への挑戦
  • 第4章 新王朝の樹立
  • 第5章 遷都と還都
  • 第6章 最後の闘い 猛き者 清盛
  • 終章 平氏の滅亡
  • むすび
  • 文庫版あとがき
  • 参考系図
  • 参考略地図
  • 主要参考文献

★ 感想

このサイトでも吉川英治の「新・平家物語 | Bunjin’s Book Review」を紹介しているし、それ以前にも大河ドラマ「平清盛」にハマっていた頃に「山川日本史リブレット 「平清盛」 プロパガンダに消された英雄?」や「「平家の群像 物語から史実へ」 最初の武家政権は平家の六波羅・福原”幕府”だった?」、「「物語による日本の歴史」 鎮西八郎為朝と悪源太義平の話が載ってますよ、平清盛ファンのみなさん」など、関係した本を色々読んでました。それらを通して、平清盛がただの”奢れる者”ではなく、新たな世界を切り開いていった人だったという印象を持ってました。そして、本書によって、また別の観点から、清盛の目指していた世の中はより壮大なものだったんだなと再認識した次第。

清盛は、源頼朝に先駆けて武士政権を初めて実質的に作り上げた人、という認識でいた。でも、そうでもないらしい。著者は、清盛の時代には貴族と武士とは完全に分離された存在ではなく、両方の面を持ち合わせる家々も多かったとのこと。身分が六位以下(”貴族”としての恩給がないクラス)の者を称して”最下品(さいげほん)”または”侍品(さむらいほん)”と呼ばれたそうで、元々は身分の低い貴族==侍(さむらい)だったようだ。そんな身分の低い貴族に武士が多かったので、侍==武士と認識されるようになっていった(ただ、それも中世に入ってから)とのこと。
なるほど、当時の人々の”常識”はずいぶんと異なっていたんですね。単純に「貴族 v.s. 武士」の対立構造を想定してしまって、その枠組みでしか考えていなかった。物の見方を柔軟にしないといけない、現代の常識・価値観で判断してはいけないのは歴史を語る上で当たり前のことですが、なかなかに難しいもの。

源氏や各地の武士たちの挙兵によって福原遷都を断念した清盛だったけど、京都に還都してもまだ「新王権による新たな都」構想は諦めておらず、左京の南東地域(八条・九条の辺り)を中心に、新たに(里)内裏を築き、平家一門を始めとする公家も周囲に棲まわせるようにしていたとは気が付きませんでした。単に、源氏勢力の上洛に備えて防衛拠点を整備しただけではないと言うことなんですね。

もしも清盛がもっと長生きしていたら、富士川の合戦で平氏方がヘマをしなければ、息子の重盛が生きていたら、その後はずいぶんと変わっていたんでしょうねぇ。福原を都として、中国大陸とより緊密な連携をとった、国際的な国になったのだろうか。
とにかく、平清盛はやっぱり凄い人だったんだなと言うことを改めて感じた一冊でした。

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