カクレキリシタン

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★あらすじ

カクレキリシタンは隠れていない。
カクレキリシタンとは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫である。1873年禁教令が解かれ、信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織化にあって維持しつつづけている人々を指す。オラショや儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。

現在(本書初版発行時の2000年頃)、カクレキリシタンの人数は長崎県下で1000~1500人程度だ。大正から昭和三十年代までには二万~三万人であったと推定されているので、昭和から平成へと移る中、各地のカクレキリシタンの組織は次々と消滅していった。
彼らは数十戸単位で組織を作っていた。それぞれが独立していて、地域が異なると交流は少なかった。そのため、各組織ごとに伝承されていった“教え”や伝承は異なっていくことになり、行事やオラショ(祈りの言葉)も異なっていた。
ある組織で行われていた行事は「元旦のお参り」「おせじょ祭」「花詣」「上がり様」「土用中様」「お願立てお願成就」「ジビリア様」などなど。組織の中心となる役員である「オヤジ様」「オジ様」などによって取り仕切られていた。行事実施にあたって役員らの負担が非常に大きいことから、近年では継承者が見つからず、組織が解散となるケースも多かった。

しかし、カクレキリシタンの人々は先祖が守り通してきた行事を辞めてしまうことはしたくない、もしくは辞めてしまうと祟りがあるかも知れないとの想いから、平成の時代に至るまでその伝統は続いていったのだった。

★基本データ&目次

作者宮崎賢太郎
発行元KADOKAWA (角川ソフィア文庫)
発行年2018
副題現代に生きる民俗信仰
ISBN9784044003500
  • はじめに
  • 改訂増補にさいして
  • 第一章 カクレキリシタンとは何か
  • 第二章 カクレキリシタンの分布
  • 第三章 生月島のカクレキリシタン
  • 第四章 平戸島のカクレキリシタン
  • 第五章 五島のカクレキリシタン
  • 第六章 長崎のカクレキリシタン
  • 第七章 外海のカクレキリシタン
  • 第八章 カクレキリシタンの解散とその未来
  • おわりに

★ 感想

「カクレキリシタンはもう隠れていないし、カトリックでもない」ということは知っていたけれど、実際にどのような信仰(宗教)だったのかは本書を読むまで全く分かっていなかった。
イエズス会の修道士たちが世界各地で布教活動を行い、中南米、アジア、アフリカに多くの信者が誕生した。その後もずっとローマから修道士が送り込まれ続けていれば状況は違ったのだろうけど、そうでなければ宗教(信仰)は土着化する。いや、カトリックのお膝元のヨーロッパでさえ、“地元の聖人”の方がキリストよりも人気があり、敬われている。

カクレキリシタンの場合、禁教時代には当然ながら宣教師もいなくなり、自分たちだけで“教え”を伝えていくことになる。見つかることを恐れ、書物での伝承も最小限に抑えられていただろう。基本は口伝だ。オラショもそのように伝えられてきたので、今ではもとの意味も分からず、言葉も元々のラテン語・ポルトガル語から変化している。
一方で神道と仏教の影響を受けてもいたようだが、結局は祖霊信仰の要素が強くなり、儀礼・行事にも先祖祭祀のようなものになっていく。もちろん、キリストの復活祭などにルーツを持つ行事もあるが、当人たちは元々の意味を知らずに「先祖代々行っているから」との理由で行事を続けている(いた)とのこと。宗教・信仰の本質を見るような感じだ。

民俗学で各地の昔話収集が大変だということは「遠野物語」などを通して知っていたが、カクレキリシタンの状況調査はさらに大変そうだ。隠れてはいないとはいうものの、自分たちの信仰に関することを話すことは憚られると考える人が多そうだ。実際、本書の著者も長い年月をかけ、各地を回って聞き取り調査を重ねていった成果がやっとこの一冊になったという感じだ。それでも行事を見学することを許されなかったことが多々あったとのこと。著者の熱意に感嘆する。

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