★あらすじ
本書では「古代」を広義に用い、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代までも含んだ時代における、日本の船に関する歴史を語る。しかし、中世以降の船に関してはその様相を描いた絵画や文字資料が多く残っているものの、古代における資料はとても少ない。主に考古学的資料に頼ることになる。
日本に「人」がやって来たと考えられる三万年前はまだ氷河期。海面は今よりもずっと低かった。しかし、日本と大陸との間には海が存在した。正確には北海道は樺太と繋がってはいたものの、本州との間には千島海峡が存在した。つまり、九州や本州に人がやってくるためには「船」が必要だった。だが、旧石器時代の遺跡からは舟またはその痕跡は見つかっていない。彼らがどのように海を渡ったのかは謎のままだ。
縄文時代になると遺跡から丸木舟が見つかっている。この時代、神津島の黒曜石から作られた石器が本州の広い地域で見つかっている。当時、神津島に定住の痕跡はなく、黒曜石を採集するために人々は丸木舟で島と本土を往復していたようだ。
縄文時代になると丸木舟の側面に板材を付けた「準構造船」が出現する。稲作の技術を日本に伝えた人々がこの「準構造船」ももたらしたと筆者は考えている。しかし、確たる証拠は見つかっていない。
いずれにせよ、複数のパーツを縫い合わせるようにして「準構造船」は作られている。丸木舟本体と側板と双方の端に穴を開け、そこに革を通して縫うように結合させたのだ。
「準構造船」はその後長く使われ続ける。遣隋使・遣唐使を中国に送るための大型船が建造された後も「準構造船」は存在した。むしろ、遣唐使が廃止された後は大型船は姿を消し、「準構造船」のみが遺跡に残り、発見されている。船の発達史はシンプルなものから複雑な構造へといった単純なものではないようだ。
★基本データ&目次
| 作者 | 石村智 |
| 発行元 | 吉川弘文館 (歴史文化ライブラリー 639) |
| 発行年 | 2026 |
| 副題 | 和船誕生以前 |
| ISBN | 9784642306393 |
- 和船以前―プロローグ
- 丸木舟の時代
- 旧石器時代の航海者たち
- 縄文時代の丸木舟
- 準構造船の時代
- 丸木舟から準構造船へ
- 弥生時代の準構造船
- 古墳時代の準構造船
- 船と葬送
- 船形木棺の発見
- 舟葬説をめぐって
- 文献にあらわれた古代の船
- 軽野と呼ばれた船
- 天翔ける船
- 遣唐使船の登場と東アジアの船
- 遣唐使船の登場
- 東アジアの造船史
- 準構造船から和船へ
- 和船成立前史
- 和船の成立
- 古代の船研究の新視点―エピローグ
- あとがき
- 参考文献
★ 感想
「日本人の祖先はどこからやって来たのか?」という日本人ルーツに関する議論は「縄文人と大陸からの渡来人との混血」というのが定説になっているようです。朝鮮半島から“渡来”してきたようですが、まだまだ分かっていないことが多いようです。いずれにせよ、本書でも記述があるように、何らかの舟に乗ってやって来たのは確か。でも当時(旧石器時代)の舟と言えば文明の進んでいた大陸でも“丸木舟”だった。あんなもので海を渡ることはできたのだろうか?
そんな疑問をずっと抱いている。そんな時、吉川弘文館のPR誌『本郷』で本書のことを知り、早速読んでみたのだ。
本書では、国立科学博物館などの研究チームが行った実験が紹介されている。台湾から与那国島(約200Km)へ、古代の舟で航海してみようというもの。結果として草束舟・竹筏は失敗し、丸木舟なら45時間で渡れたそうだ。二日以下ならばそれほど水や食料を積んでいなくても大丈夫そう。なるほど、あんなカヌーをちょっと大きくしただけの舟でも黒潮の海を渡ってくることはできたんだ。いや、びっくり。
まあ、だからと言って「二日の航海で陸にたどり着く」ことを事前に知っていた訳ではないだろうから、最初に舟をこぎ出した人達は何を信じてそんな冒険をしたのだろうか。。。まあ、さすがに考古学でも彼らの心の内までは読み取ることは永遠にできないだろう。
遣唐使が廃止された後、大型船造船技術がいったん、絶えてしまったという話も面白かった。遠洋航海する必要が無くなったので、以前からあった「準構造船」で充分だったという訳だ。「必要は発明の母」とは良く言われるが、その逆に必要が無くなれば技術も使われなくなる・失われるということなのだろう。そこから紆余曲折があって今に至る訳だろうけど、そんな歴史を追うのも面白い。
著者の「水中遺跡の保護のためのルール作りが必要」との提言に私も賛同する。船の歴史を調べるのだから、水中に眠っているだろう遺跡を発掘する必要があるのは当たり前だ。今後、新たな発見があることを期待したい。



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